【慈愛とは一体何か?】ヒマラヤ大聖者が語る「究極の愛のかたち」完全解説。
今回は「慈愛」についてお話をさせていただきます。
慈愛とは、慈しみの愛ということです。
仏様が慈愛を持って皆さんに接するように、そういった修行をしていくと、悟りを得ることができます。
菩薩行というものがあり、全てを与えていく、無償の愛を与えていくのです。
見返りを期待しない愛

みんな、愛というと見返りを期待していることが多いのですね。
自分のエゴから「もっと愛して欲しい」「親切にして欲しい」と、自分から捧げるのではなく求めてしまう。
愛を語る時、「旦那さんが愛してくれない」「誰かが親切にしてくれない」「理解してくれない」ということで傷ついたり、誰かに傷つけられたと悩んでいる方が多いのです。
外側から寂しい心を埋め合わせたい。
みんな、すごく寂しいのではないかと思います。
「これが欲しい、あれが欲しい」と物で満たしたり、友達がいる、恋人がいるということで満たそうとします。
両親から愛を与えられて育ち、学校の先生にも愛され、褒められると嬉しい。
そういう「愛を受け取る」ことが身についているのだと思います。
慈愛になるということは、自分から満たして与えていくことです。
相手が寂しかったり悲しかったりするのを満たしてあげて、それでいて見返りを期待しない。
普通の人間関係はギブアンドテイクで、与えたら返してもらうことで調和を図ります。
しかし慈愛のレベルになると、自分が満ちて完成度が高くないと難しいのです。
与えたら「褒めて欲しい」「感謝されたい」という気持ちが湧いてきてしまうからです。
内側にある愛の井戸

私たちの深いところには「愛の井戸」というものがあります。
深いところを掘り起こして、そこから汲み出していくと、それは無限の愛なので、ほとばしり出るほどの愛が出てきます。
それをやっていくと、自分自身が満たされていくのです。
心の愛は常にギブアンドテイクで、見返りを期待したい心は常に不足を感じています。
無限のところに繋がっていないので、与えると減ってしまうのです。
「慰めてもらいたい」という心から、魂からの愛になっていく。
そのためには修行をしていかないと、慈愛を与え続けていくことはできないのですね。
心は小さなことでも比較をする

先日、こんなことがありました。
とても優秀なお子様なのですが、お姉ちゃんがどうしても寂しそうな顔をしているのです。
妹さんは屈託なくお母さんに甘えているのですが、お母さんは後から生まれた妹がまだ小さくて手がかかるので、集中的にお世話をしていて、お姉ちゃんには「お姉ちゃんだから、しっかりしなさい」と接していました。
お姉ちゃんもまだ子供なのに、妹が生まれたからしっかりしなさいと言われる。
本当は両方平等にしてあげればいいのですが、どうしても小さい子の方が重点的になってしまい、上のお姉ちゃんは寂しい気持ちから素直になれなかったのです。
それでお母さんが自分を見つめて、合宿などに来て、マスターを通して宇宙の愛をいただく回路を開いて、満たされることで「お姉ちゃんに厳しかったかな」と反省されました。
お姉ちゃんも修行をして神聖なパワーをいただき、不足でぽっかりと穴が開いていたところが埋められて満たされました。
今では学校でリーダーシップを発揮して、先生から「この子は本当にみんなの見本で、素晴らしい人格で」と褒められています。
ヨグマタのところで瞑想が起きる秘法をいただいて、内側の深いところから神聖なエネルギーが満ちるように充電して、学校の成績も良くなったのです。
子供はちょっとしたことでも天秤にかけています。
心というのは比較をするものです。
みんな心を持っていますから、平等にということを心がけていかないとなりません。
心のレベルになると、一つのことにフォーカスして夢中になると全体が見えなくなります。
心に取り憑かれたようになるのです。
瞑想とは、そこから離れて全体を見ることです。
運命を超えて宇宙的な愛の人になる

自分の様々なしがらみから離れ、しがらみを浄めていく。
しがらみがあると、過去から現在、未来という自分の運命が決められてしまいます。
運命について色々な占いがあるかもしれませんが、どの星の下に生まれたかという運命は誰にでもあります。
それを超える修行がヒマラヤの修行です。
そうやって宇宙的な愛の人になっていくのです。
自分を責めるエネルギーが強いとか、人を責めるエネルギーが強いとか、傲慢のエネルギーが強いとか、人それぞれです。
「この人はこうした方がいい、ああした方がいい」と心のレベルでやっても変わりません。
その時だけ一時的に「そうなんだ」と分かるかもしれませんが、やはり根本療法をやらないと性格は変わらないのです。
そういう教えをいただいて修行していくと、宇宙的な愛になっていきます。
過去の記憶を癒す

小さい時に傷ついた親の扱いというものがあります。
しかし親も、本当にみんな我が子が可愛くて、厳しい愛もあるのです。
注意するのも親の愛であり、可愛がるのも愛です。
親御さんが悟っているわけではないので、「居てくれるだけでありがたい」と思えるといいのですが、みんな理想を求めすぎるのです。
合宿では人生を振り返るので、ご両親の愛の記憶を理解して、ハッピーな状態にしていきます。
そうしないと、その記憶のままリアクションしてしまうのです。
恋人に対して「欲しい欲しい」の愛になってしまったり、周りの人に意地悪になったり、わがままになったり、心の癖を投影してしまいます。
小さい時にどういう愛を受けてきたか。
宇宙的な愛になっていくには、そういうところを満たしていかないと、いきなり立派な人にはなかなかなれないのです。
「お父さんがいない」「お母さんがいない」と恨んでいる方には、「ヨグマタがお母さんですよ、宇宙のお母さんですよ、いらっしゃい」と伝えています。
それで依存させるのではなく、「あなたの中の愛を目覚めさせてください」と、自立していくようにしています。
ヨグマタの慈愛の始まり

私自身も父親の愛を知りません。
父親は私が1歳半の時に亡くなりました。
小さい時、お友達の家に遊びに行くと、そこはタイヤ屋さんで小金持ちのお家だったのですが、お父さんがいて、自分の子供にお土産を買ってくるわけです。
私も座敷に上がり込んで遊んでいたので、そういう光景を見て、傷ついたらしいのです。
家へ帰って「どうして私にはお父さんがいないの」と言ったそうです。
母親が何と答えたかは覚えていません。
そこで私は「自分の子供だけ可愛がるのは良くない。みんなを平等にしよう」と、幼稚園の時に思ったのです。
傷ついたからこそ。
それが慈愛の始まりだったかもしれません。
みんな寂しいのです。
だから内側を満たすこと。
寂しいからお金持ちになって見返してあげるとか、ものすごく勉強して学位やタイトルを取って見返してあげるとか、色々あると思います。
個人の才能は違いますから、頑張って頑張ってやっていくと、失うものも多いのです。
皆さんが源のパワーをいただいて、慈愛をいただくと、自分が癒されて、その力で良い人間関係になります。
相手の立場が理解でき、許すことができ、自分も満たされて、驕りの心ではなく生きていくことができるのです。
慈愛というものは、あなたの心を超えたところにあるんですね。
愛の泉があるのです。
慈愛は自己防衛をしない捧げる愛

暴力を振るう、人を傷つけるということは、やっていると癖になってしまいます。
だから相手を慈しむ愛を育んでいかなくてはなりません。
例えばネガティブなことを言われると悔しくて、怒りが湧きます。
冷静になればいいのですが、手の方が先に出てしまうこともある。
その怒りを鎮めないとなりません。
自分の愛がとても強くなると、「ああ、そういう人もいるんだな」「寂しいから、そうやって人に何か言って自分を満たそうとしているんだな」と分かってきます。
エゴを落としていかなくてはならないのです。
そして誠実であること。
コツコツやって、正直に、嘘をつかないでやっていくことです。
競争社会ですから、自分をよく見せようと思ってしまいます。
例えば遅刻して、自分をよく見せるために人のせいにしたりする。
それが自己防衛です。
慈愛とは自己防衛をしないこと、捧げるのみなのです。
心を正しく使う

普通、心の使い方は自分を守るためです。
もちろんそれは大切で、自分を守らないと生きていかれません。
しかし「守らなくてもいつも守られているんだ」というところまで進化していくこと。
いつも神様に守られているんだ、というところまで進化していくのです。
食べすぎたり寝すぎたり、体の欲望や性欲にエネルギーを使いすぎると、エネルギーがなくなって早く老けてしまいます。
快楽的な欲望に使わないこと。
体を正しく使う、心も正しく使う、清潔にする。
一般的なことですが、瞑想して理解していくと自然にできるようになります。
今あるものに感謝する

私たちは「これが不足している」「あれが不足している」と、不足を探してしまいます。
そうではなく、「生かされているな。目が見えているじゃないか。耳が聞こえているじゃないか。話ができる。歩ける」と、色々できることに感謝することです。
あまりに高みを望むと、「これがまだ足りない、まだ足りない」と素晴らしい人と比較しすぎてしまいます。
もちろん、今の自分のところから努力していくことは必要です。
羨む気持ちに刺激されて、しっかり進んでいくことも必要でしょう。
そうやって自分を磨いていくと、素晴らしい人生になるのです。
急がば回れということを皆さんにお伝えしたいと思います。
慈愛ということで色々話が広がりましたが、宇宙的な愛をいただく修行法があります。
自分を愛すること。
そして見えない存在を愛していくこと。
私たちは見えるものしか信じませんが、深いところから愛をいただき、守られて生かされています。
そこに感謝して、物事を大切にして、出会いを大切にして、みんなが瞑想者になっていただいて、源からの無限の愛をいただいて、もっと軽やかに、周りの人に感謝して愛して、そんな生き方をしていただきたいと思います。
〜ヨグマタ相川圭子 公式Youtube(2026.8.8放送分)より
執筆者:ヨグマタ相川圭子
10代の頃からヨガや瞑想、健康法に興味を持ち実践。単⾝ヒマラヤに渡り、悟りへの道である本格的なヨガの修⾏を⾏い、ヨガ・瞑想の究極のステージ「サマディ」に到達する。 過去3回にわたり、国連でスピーチ・瞑想指導を行う。日本でも講演会、各種研修を開催。著書は累計100万部を突破し、作家としても活躍している。

