【永久保存版】運命が好転する『感謝の極意』をヨグマタが特別伝授【徹底解説】
2025.3.2
見返りを求めずに感謝するといいエネルギーが流れる
本日は「感謝」についてお話をさせていただきます。
心は何かにつながるとリアクションして、「良い・悪い」とか「好き・嫌い」とか比較をするんですね。
「好き」は執着や依存になるし、「嫌い」と拒絶すると自分もネガティブになるし、相手に対しても嫌な波動が伝わってしまいます。
だからどんな状況に対しても学びにします。
人間関係で嫌なことがあっても、自分が病気になったとしても学びで、それに感謝する。
見えないものに自分は「生かされている」と感謝する。
インドの人は神様にすごく感謝して、お布施を捧げたり、供物を捧げたり、自分が心を込めてつくったものを捧げたり、ろうそくの火などを捧げます。
そうやって良い行為を捧げると愛が満ちる。
「これだけやったから見返りを」と執着せず、「無償の愛」で行うと良いエネルギーが流れるんですね。
執着したものを感謝で手放すと身体と心が磨かれる
自分の中には行為によって蓄積したエネルギーがあるんですね。
それを「カルマ」と言うのですが、それが流れて解放されると、最後に自分の本質が現れてくる。
「本質」とは何かというと「不動の心」「不動の存在」。
その中にはエネルギーが満ちていて、色々なものを製造する力があったり、知恵があったり、愛が満ちています。
私たちは一つの宇宙の存在・大いなる存在から分かれた分身です。
分身がそれだけでは体験できないので、身体と心をいただいて体験をしていくということなのですが、人間はやたら集めて自己防衛で生きてきました。
その身体と心を磨いて、神を知るために磨いていく。
いろいろなものが一体何であるのかを理解して、感謝して手放していくんですね。
感謝は執着ではなく手放していく関係
感謝は「感じて謝る」と書きますよね。
謝ってというか、感謝したからこれっきりみたいな。
感謝は執着する関係ではなくて、手放していく関係なんですね。
感謝したら卒業して次のステップにいけるということ。
集めてストックして執着しているものに、感謝をして手放していく。
そういう関係性だと理解しています。
感謝によって自分の心・身体を理解し超えていく
目が痛い時には、「何で目が悪くなった?」と思うのではなくて、感謝すると回復するんですね。
痛いとか、何かがないとか、不足のところに意識が向いてしまうんですけれども、ないことに感謝をしてください。
そうしたら何かつくり出す力が出てくるかもしれません。
「あのときに助けてくれなかった」「あのときに何かしてくれなかった」と両親を恨んでいる人がいるかもしれませんが、その時、親は忙しかったのかもしれません。
でも産んでいただいただけでありがたいじゃないですか。
旦那さんに対して「愛してくれない」とか文句ばっかり言っている方に、「自分から愛しましたか?」と聞くと、そうではない。
そばにいてくれるだけでありがたいじゃないですか。
感謝して次のステップで力をいただいてクリエイティブなことをしていきましょう。
嫌なことにも感謝する
感謝することで肯定的なエネルギーになってお互いが癒されます。
そうやって良い関係になるし、エネルギーが充電するんですね。
みなさんは何かをもらったときや良いことをしてもらったら感謝するけど、いじめられたら感謝しないでしょう。
でも、いじめられて自分の中に「悔しい」「悲しい」という思いが出てきたということは、「私の中にまだ人格がちゃんとできていないんだな」「こんなことに怒るんだ」と気づきになります。
気づきを与えてくれる人がいたら、「私のレベルをまざまざと見せていただいて、あなたのおかげでいろいろと分かってありがとうございます」「悪いことも分かってありがとうございます」「学びをいただきましてありがとうございます」と感謝をする。
そうすると良い人間関係になるじゃないですか。
だから嫌なことにも感謝するんですね。
瞑想を始めることで魂からの感謝が湧く
自己防衛の心で生きていると、「強くないと自分が守れない」と思って、暴力を振るって人をいじめたり、「俺は強いんだ」と自慢したりします。
ですが瞑想することでいろいろほどけて、ネガティブなものを溶かして潜在意識を綺麗にしていくと感謝ができるようになってきます。
不平不満が消えて、もっと大きな愛で見つめられるようになって、違う側面が見えるようになるんですよね。
さらに高次元の存在と繋がってブレッシング(祝福)をいただくことで、守られて、人に対しても優しくなれて謙虚でいられるんですね。
魂からの本物の感謝をする
瞑想を始めると顔つきがみんな謙虚で美しい顔になってくるんですね。
最初は偉そうな顔をしているけど、見えないものにも感謝できて、「自分 自分」というエゴが取れるので人相が良くなる。
インドに「南無」とか「ナマ」という言葉がありますけど、「自分を無にして捧げる」という意味なんですね。
それは感謝してエゴが取れるということ。
「エゴ」や「自分の心」で感謝するのではなく、魂から感謝する。
自分が卑屈になっておべっかを使っているとかじゃなくて、魂のレベルから相手を尊敬しながら「ありがとう」と言うってことですよね。
瞑想をやると自然に感謝ができるようになりますので、本物の感謝にするには瞑想をしたほうがいいですね。
〜ヨグマタ相川圭子 公式Youtube(2025.3.1放送分)より
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執筆者:ヨグマタ相川圭子
10代の頃からヨガや瞑想、健康法に興味を持ち実践。単⾝ヒマラヤに渡り、悟りへの道である本格的なヨガの修⾏を⾏い、ヨガ・瞑想の究極のステージ「サマディ」に到達する。
過去3回にわたり、国連でスピーチ・瞑想指導を行う。日本でも講演会、各種研修を開催。著書は累計100万部を突破し、作家としても活躍している。
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