ヤマ・ニヤマ
「ヨガの八支則」という8つのプロセスの中で、もっとも基本となる一番目と二番目の項目。
-
ヤマ…日々の中で「してはいけない5つのこと」を学び、実践する
-
ニヤマ…毎日の中で「するとよい5つのこと」を学び、実践する
それぞれ、社会生活をする上で、人とのつながりの中でどう生きていくとよいのか、という道徳的な教えを説いている。
5つの「ヤマ」の教え
1.アヒンサー(非暴力)
すべての物を慈しみ、誰も、何も、自分も傷つけない
2.サティヤ(不嘘・誠実)
本当の自分をあざむかない。誠実に、純粋になっていく
3.アスティヤ(不盗)
欲望から、無知から、盗むことを止める
4.ブラフマチャリヤ(不過渡・禁欲)
何ごとも「し過ぎない」「溺れない」
5.アパリグラハ(不貪)
本当に必要な量だけでよい。「もっともっと」とむさぼらない
5つの「ニヤマ」の教え
1.シャウチャ(清浄)
体も心も清らかに保つ。純粋になっていく
2.サントーシャ(知足)
すでに満たされていることに気づく
3.タパス(苦行・鍛錬・精神統一)
やるべきこと、目の前のことを逃げずに粛々と行い続ける
4.スヴァディアーヤ(学習・自我の探求)
「私」とは何か、本当の自分とは何かを探っていく
5.イシュワラ・プラニダーナ(降伏)
すべてを信じ、ゆだね、おまかせする。
「ヤマニヤマ」についてヨグマタのメッセージ
「ヤマ」と「ニヤマ」という言葉を聞いたことがある人は、少ないと思います。
「それっていったいなんのこと?」とお思いでしょう。
「ヤマ」「ニヤマ」とは、「ヨガの八支則」という8つのプロセスの中の、一番目と二番目の項目です。
ヨガというと、皆さん今は「アーサナ(ポーズ)」を取っている姿を思い浮かべることでしょう。
しかしヨガとは本来、自分の外側も内側も修行していくことで、「アーサナ(ポーズ)」だけをヨガと呼ぶわけではありません。
ヨガの「アーサナ(ポーズ)」のよいところは、体を使ってバランスを取ることを学べるところですが、それだけが出来ればよいというものではなく、内側の修行も一緒にしていくのが本当のヨガなのです。
この修行の方法を八つのプロセスに分け、「ヨガの八支則」と呼ぶのです。
「ヨガの八支則」を簡単に説明します。
-
ヤマ…日々の中で「してはいけない5つのこと」を学び、実践する
-
ニヤマ…毎日の中で「するとよい5つのこと」を学び、実践する
-
アーサナ…様々なポーズを練習し、体のバランスを取る
-
プラーナヤーマ…呼吸をコントロールし、呼吸法を学ぶ
-
プラティヤハーラ…感覚のコントロールを学ぶ
-
ダラーナ…意識の集中、一点に集中させることを学ぶ
-
ディヤン…深い瞑想を学ぶ
-
サマディ…神と一体になる、悟りへの到達。
まず心がまえを学び、実践し、体や呼吸などの外側の部分のバランスを取れるように練習します。
そして今度は自分の内側に入っていき、瞑想をしていく。
悟りへの道に立ち、神と一体になっていく―。
それが、本来の「ヨガ」が目指すところなのです。
その一番目と二番目が、「ヤマ」と「ニヤマ」。
それぞれ5つの項目があり、社会生活をする上で、人とのつながりの中でどう生きていくとよいのか、という道徳的な教えを説いた、10の項目なのです。
その10のことをひっくるめて、日常生活の中で行えるようにしていく。
ヨガの中の基礎の基礎、といえる部分なのですね。
最近皆さんが行っているヨガは、健康法、体の調和を図るという意味合いで行っています。
行うことは悪いことではありませんが、体だけを必死に鍛えるのではなく、心もちゃんと修行することが大切なのです。
人間は、思っているよりも心の状態が体に表れます。
ところが、たとえばスポーツ選手のように肉体をいつも鍛えていて丈夫だと、多少心の具合が悪くても、そのメッセージを無視してしまうことがあります。
体が丈夫で性格も明るいから、と、自分も他人もごまかせてしまうのです。
スポーツ選手でなくとも、負けず嫌いだったり、人に弱みを見せたくないという気持ちが強い人は、同じような傾向があるのではないでしょうか。
しかし、心が大変だと体もだるくなったりするのです。
体の方ばかりを鍛え、心の状態は具合が悪いままだと、両方のバランスは悪くなっていきます。体が強いからといって、心も強いとは限らないのです。
ヨガのアーサナも同じです。
いろいろなポーズが出来て、体は柔らかくなるかもしれない。内臓は丈夫になるかもしれない。
けれど、それと共に心のキレイな、愛に満ちた人にならなければ、意味がないのです。
人間は、長い長い歴史を通して動物から人間らしく進化してきました。
しかし、まだまだ罪を重ねている。他者を、他の物を攻撃したり、嘘をついたりしています。
便利なものや身に着けるもの、持つもの、と、外側の「もの」ばかりを作り、それに振り回されて生きています。
生まれて生きて、歳をとっていく間、どうしてもマインドにとらわれ、考え、不安になったり寂しがったり、妬んだりします。
自分に敵対するものをおとしめたり、暴力をふるったり、盗んだりして、自分を守ろうとします。そういった行為が自分を幸せにすると錯覚しています。
神様から与えられた、かけがえのない自分という素晴らしい存在を、無知から汚しているのです。自分にゴミを溜めているのです。
神から与えられた素晴らしい体、心、魂を、使い方がわからないままに汚しているままでいず、自分を磨いていく。
汚くならないような使い方を学んでいく。
善行をし、ゴミが溜まらないような日々の生き方をしていく。
自分を愛し、周りを尊敬し、心と体が穢れないようにしていく。
運命を良くしていくため、いかに生きて行くべきか、という人生のガイド。
それが「ヤマ」と「ニヤマ」なのです。
この記事をシェアする