何もしなくても、幸せ。自分の内面を見つめていく楽しさを知った
2021.8.6
私は、ほんの少し前まで、変わり映えのない毎日を刺激的なものにして、何とか暇つぶしをし、楽しもうと躍起になっていました。
映画、習い事、グルメ、ショッピング、音楽、読書など、何かを常に探して、見つけては、夢中になったり、我にかえったり、随分忙しくしていた気がします。
それが、瞑想を始めてから、大きな浄化をいただくきっかけがあり、その後から思わぬ副産物として、「何もしていなくても、そこそこハッピー」な自分であることに気づきました。
これまでなら何の予定もない日は、必死に何かで時間を埋めることを考えていました。
何もせずに一日が過ぎた日などは、「なんと無駄で退屈な時間を過ごしてしまったのだ…」と嫌な気分になっていたはずが、
ここ最近は、相変わらず退屈だと感じたりはするものの、そのことから逃げようとジタバタすることがなくなりました。
「退屈だけど、まぁいいか。今はきっと、そういう時なんだろう。」という感じです。
このことで一番楽になったのが、子供と過ごす時間です。
情けない話ですが、子育てをしていながら、私は小さい子と関わるのが、あまり得意ではありませんでした。
何を言っているのか要領を得ないことも多いですし、一緒に何かで遊んでいても、なにか中身のないことに、延々と向き合わなければいけないといった印象で、段々疲れてきてしまうのです。
ところが最近、そうした子供の様子を平気で見ていられる時間が増えてきた気がします。
以前のように、その場から家事などの用事を作って退散してしまわずに、のんびり一緒に過ごせるようになりました。
ちょうど子供は夏休みを迎えたこともあり、一日中一緒という状況の中、この変化は本当にありがたいものです。
私はSNSのアカウントを持っているので、特に独身の友達が、楽しそうに遊びまわったり、仕事で充実している様子を目にします。
それは、もし10年前の自分だったら、理想の姿に映ったと思います。
昔の私は、本当は、どうしようもない虚しさや寂しい気持ちを何とかして紛らわせたかったので、
考える暇、息つく暇もないほど、忙しく自分を刺激したかったのではないかと思います。
不安でそこから逃げようともがいていた私にとって、「その時その時が、そこそこ幸せ」というのは、地味に見えますが、本当にありがたい変化です。
どんなに素晴らしい小説も映画もコンサートも、サラリと楽しんで、そこに執着しない自分に少しずつ変化し、
決して向き合いたくなかった、虚しさやそこから逃げたいという気持ちも、少しずつ受け止められるようになってきたような気がします。
ヨグマタジは、頭の中がお祭り騒ぎ状態の私をすくいあげ、代わりに、「自分の内面を見つめていく面白さ」を教えてくださったのだと思います。
そして、入会してからたった1年半で、こんな風に感じる自分に驚いています。
まだまだグルメや買い物など、なかなかやめられない欲もありますが、これもいつか消えていくのだと感じます。
こうして安心して修行させてくださるヨグマタに、あらためて感謝いたします。
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