「瞑想の始まり」とは?
2022.6.1
そもそも人はなぜ瞑想を行うようになったんでしょうか。
すごい大昔にね、この宇宙を作った存在は誰だろうって。
偉大な力に昔の人は、すごく畏敬の念があって、何かが働いているって言うことで、その神秘の力、源の存在を「神」と名付けて。
それに出会いたい、どうしたら出会えるのかって言うことで、すごく研究していたんですね。
それで、ヒマラヤの聖者が、瞑想を発見したんですよ。
私達のこの身体は、宇宙と同じ素材でできている、宇宙の神秘の力によって作られているってことで。
神様の存在とかを考えるようになった頃から、瞑想は、もうきっと行われていたのでしょうか。
そうですね。
静かにして、心って何なのか、身体ってどうなってるのか。
手があって、足があって、目が見えたり、色々感覚があるわけですよ。
そうやって、色々調べていくと、感覚があって、感覚からずーっと源にいくと、何があるのか。
永遠の存在があるんですよ。動かない存在。
それが全てを作り出しているっていう。
それは神に出会いたいっていうところで、そのためには、浄めていかないと、見えないわけなんです。
だから皆はね、記憶や色々な価値観や色々な考え、心配、怒り、そういうものに覆われているんですよ。
心に染みついてるわけ。
それを沈めていったり、バランスを取ったり、取り除いたり、磨いて行ったり。
例えば泥水が、こうシェイクするとね、こうダーって泥水の色が茶色くなるでしょ。
それをこう置いておくと、こうずーっと泥が沈澱していくじゃないですか。
そうするとそこだけ透明になってくるでしょ。
一応、心が静かになってくるわけですよ。
でも、泥は消えていない、質が悪くなったものは変わらない。
その質まで変えるのが、ヒマラヤシッダー瞑想。
ただちょっとリラックスして、何もしない状況から、積極的にお掃除して、積極的に溶かして、質まで変えていく。
変容させることが可能なんですね。
瞑想は奥が深いですね。ありがとうございました。
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