講話録

「死」は、壮大な循環の一地点であり、通過点です

死は、家族や友人、好きなもの、好きな景色など、すべてと別れていくので、心細く、怖いと思う人もいるでしょう。

それはさまざまなものへの執着があるからです。あれもこれも手元に置いておきたい、手放したくないのです。

死ぬと、すべて無になると思っている人もいますが、そうではありません。

死は、今生きている人が体験する通過点です。死が到達点ではありません。

肉体は物質なので、寿命があります。死が来るわけです。しかし、魂は永遠です。アストラル体も残ります。

死を迎えると、記憶が刻まれているアストラル体は、肉体から抜け出て、同じクオリティのエネルギーのある場所に向かいます。

アストラル体のなかにある魂もともに行ってしまうのです。

ときに重いエネルギーの地獄とよばれるところにいきます。

そうならないためにも、ヒマラヤ秘教のディクシャという高次元のエネルギーの伝授でカルマを浄化し、神につながることでアストラル体は天国につながり、そこに導かれるのです。

人は肉体があるときのみ修行ができます。生きているうちに、カルマを浄化していくことが大切です。

そのような観点から、肉体はあたかも衣のようなものだといえます。

その衣を脱ぎ捨てて死に、ある期間を経て、修行するためにこの世に戻ってきます。

その壮大な循環の一地点であり、通過点であるのが死です。人は死を通過点として、何百年、何千年にわたって、進化の旅を続けているというわけです。

(「思った以上の人生は、すぐそこで待っている(大和書房)」より)

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